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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)10103号 判決

原告

田端千春

右法定代理人親権者母兼

原告

佐久間淑

右両名訴訟代理人

椎名麻紗枝

外四名

被告

村田達江

右訴訟代理人

高田利広

小海正勝

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一当事者

被告が肩書地において内科、小児科の診療科目をもつて「村田医院」(以下「被告医院」という。)を開業する医師であることは当事者間に争いがない。

また〈証拠〉を総合すれば、原告田端千春(以下「原告千春」という。)は、昭和四五年三月九日、訴外田端靖と原告佐久間淑(以下「原告淑」という。)夫婦間の長女として出生したこと、原告淑は、昭和五一年九月六日、右訴外田端靖と協議離婚するにともない、同人との間の長女原告千春と長男訴外田端久嗣(昭和四三年七月二日生。以下「久嗣」という。)の親権者となつたことが認められる。

二本件診療の経過及び事故の発生

〈証拠〉を総合して認定した事実によれば、本件事故発生に至るまでの経緯は以下のとおりであると認めることができる。

(一)  原告千春の兄久嗣は、昭和四八年六月四日、二日前から発熱があつて被告医院において診察を受けたが、その際同人には咽頭充血、咳嗽、発熱の症状が認められ、次いで、同月六日診察を受けた際には、さらに口腔内にコプリック斑の出現が認められたため麻疹と診断された。

その際、被告は、原告淑に対して療養上の注意として熱が高いときには頭を冷やすなどの処置をなし、部屋が暑くならないよう換気を十分にするよう指示した。

被告は、同月六日久嗣を診察した際、同人の妹の原告千春についても麻疹感染の可能性があるものと考え、原告淑に、原告千春を被告医院に連れてくるよう指示し、翌七日来院した原告千春に対し、麻疹の症状を軽減させる目的のもとにガンマーグロブリン一五〇ミリグラム、一ミリリットル注射した。

(二)  原告千春は、同月一三日頃一度三八度位の発熱をみたが、一四、一五日には平常に戻り、次いで、同月一六日の朝から再び熱が出始めたため、原告淑は、同日原告千春を連れて被告医院に行き、熱、咳嗽がある旨を訴えた。

被告は、原告千春の咽頭部分を診察したところ、充血はみられたが、コプリック斑はなく、また胸部の聴診にも異常なく、その症状は上気道炎を示す程度であつたが、久嗣からの感染の可能性及び時期を考え、麻疹のカタル期の症状が始まつたものと診断し、クロマイパルミテート(抗生物質)二二ミリリットル、ペリアクチン(抗ヒスタミン剤)一〇ミリリットル、アスベリン(鎮咳剤)四ミリリットル、フェノバールエリキシル(鎮静剤)二ミリリットルの混合水薬二日分を内服薬として与えた。

(三)  原告千春は、翌一七日、一八日はときどき蒲団から起き出して遊ぶなどしていたが、同月一九日午前一〇時ころからぐずり始め、午後零時すぎに体温を測定したところ四〇度に上昇しており、食欲を失い、元気がなくなるなど症状が変化してきたため、原告淑は、夫の訴外田端靖及び原告淑の母親訴外佐久間ひさとともに、原告千春を連れて、同日午後五時ころ被告医院を訪れた。

(四)  原告淑が、被告に対し、原告千春が同日朝から非常に元気がなく、熱は高いし、食欲もなく、尿の出も少ない旨訴えたため、被告は原告千春を診察台の上に寝かせ、体温・脈拍測定、瞳孔・咽頭視診、胸部聴診、腹部触診、腱反射測定の診察を行なつた。

原告千春は、体温40.1度、脈拍早く、全身麻疹の発疹状態でぐつたりしており、皮膚が多少うるおいを失つているなど脱水の初期症状や腹部の多少の張りも認められたが、循環障害、呼吸困難、痙攣、項部強直の症状は認められず、瞳孔の状態も正常であり、腱反射も若干少なめではあるが存在しており、終始うとうとした状態ではあつたが、被告が同原告の名前を呼ぶと右呼掛けには反応を示していた。

(五)  被告は、原告千春が、麻疹の通常の経過を辿り、最盛期の発疹状態を迎えたが多少脱水症の疑いがあるものと診断し、ブドー糖五パーセント一〇ミリグラム、ビタミンB1、B2各一〇ミリグラム、一ミリリットル、ビタミンC一〇〇ミリグラム、一ミリリットル、ビタカンファー一ミリリットル、レスタミン一〇ミリグラム、0.7ミリリットルの混合注射をし、ビグシリンドライシロップ四グラム一日分、バリオメール(解熱剤)五個を交付し、原告らに対し、十分に水分を与え、部屋を涼しくして静かに寝かせておくよう指示して帰宅させた。

(六)  原告らが帰宅後、同日午後九時ころ原告千春の容態は、呼吸が荒くなり、意識がもうろうとするなどぐつたりしてきたうえ、同日中排尿がなかつたことに原告淑が気づいたため、同日午後一〇時ころ、浄風園病院に赴き、当直の医師に右症状を訴え、導尿処置等を受けて帰宅したが、益々症状が悪化してきたため、同月二〇日午前三時ころ、原告淑は、原告千春を東京医科大学病院に車で運び、高熱の状態が続き、食物をほとんど摂取していないこと、呼吸が荒いこと、意識のもうろう状態が進行していることについて訴えたところ、同病院では麻疹の症状に加えて腱反射減弱症状などがみられ、原告千春が疼痛刺激に対して殆んど反応せず、傾眠状態であることから、入院措置が必要であると判断したが、個室の空床がなかつたため、荻窪病院に転医する措置をとつた。

(七)  原告千春は、同日午前三時半ころ荻窪病院に救急車で運びこまれたが、そのころには体温は依然として四〇度を保ち、意識は完全に混濁して昏睡状態であり、呼吸不整、脈拍微弱、縮瞳、対光反射減弱、軽度の項部強直がみられ、チアノーゼ、痙攣はなかつたが、四肢は弛緩して自発運動はなく、脱水状態を示す等の諸症状が認められたため、腰椎穿刺による脳脊椎液検査を行なつたところ、初圧高く、細胞数増加が認められたため、右各臨床症状と併せ確定的に麻疹脳炎と診断された。

(八)  その後、原告千春は、同年九月一〇日、荻窪病院を退院したが、麻疹脳炎による後遺症として両下肢麻痺の重篤な障害を残した。

三被告の責任

(一)  診療契約

〈証拠〉を総合すると、昭和四八年六月七日、原告淑は、本人及び原告千春の法定代理人として、被告との間において、原告千春の麻疹処置に関する診療契約を締結したことが認められ〈る。〉

(二)  被告の義務違反について

原告らは、被告には右契約に基づき、第一に、原告千春が昭和四八年六月七日来院した際同原告に対して十分量のガンマーグロブリンを投与することによりその麻疹発症を防止すべき義務が存したにも拘らず、被告は、右義務を怠り不十分な量のガンマーグロブリンを投与したにとどまつたため、原告千春を麻疹に罹患させ、ひいては麻疹脳炎を発症するに至らしめたものである旨主張し、第二に、原告千春が同月一九日来院した際、同原告には、意識障害、呼吸困難、尿閉、高熱の継続等明らかに麻疹脳炎を診断すべき諸症状が認められたにも拘らず、麻診脳炎の発症を看過し、又はその発症を予見していながら、原告千春を全身管理、入院措置等の対症療法の可能な設備を有する病院に転送するなどの適切な医療措置をなすことを怠つた結果麻疹脳炎による後遺症として両下肢麻痺の障害を残すに至らしめた主張するので、以下にこれらの点につき検討を加える。

1  麻疹の症状及び麻疹にともなう合併症

〈証拠〉によれば、麻疹とは麻疹ウイルスによる急性発疹性感染症であり、感染後七〜二一日間(通常一〇〜一一日間)の潜伏期の後、発熱(三八〜四〇度)、全身倦怠、くしやみ、鼻汁、咳嗽をともなう上気道症状、結膜炎症状などが著明となるカタル期が三〜五日間続き、その後いつたん下熱し、発疹に先立ち口腔内の頬粘膜にコプリック斑が出現するが、再度熱が上昇するにともない通常は感染から一四日まで皮膚に特有の発疹を生じてくるもので、発疹は耳後部、口周、頸部、前額部から出現して次第に躯幹、四肢に及んで全身に広がり、熱は一般に三九度〜四〇度の高熱が平均三〜四日間継続した後、回復期に移行するものとされていること、麻疹はそれ自体右のとおりかなりの高熱状態が続き、また各種粘膜の炎症、発疹等をともなう全身性疾患であるから、右各種粘膜の炎症の結果二次感染の誘発を容易にし、化膿性中耳炎、気管支肺炎等の合併症を併発することもあり、特に発疹期に起きることが多く、幼若児では二次感染に起因する各種感染症は特に重症の経過を辿りやすく、さらに、発病初期の高熱によつて不安、興奮、痙攣等の脳症状をみることがあるうえ、また後記のとおり麻疹罹患者の0.1パーセント程度には麻疹脳炎の合併症を併発することがあること、その治療としては、安静、保温、消化のよい食事等の環境整備と対症療法に尽きることが認められる。

2  麻疹の予防可能性について

前掲各証拠によれば、麻疹発症を防止する方法には、①麻疹ワクチンの事前接種による能動免疫法、②ガンマーグロブリンの十分量投与による受動免疫法があることが認められるが、右①の麻疹ワクチンによる方法については、本件において原告千春がその事前接種を受けていないことは明らかであるから、問題とする余地がない。

原告らの主張する②のガンマーグロブリンの十分量投与による方法については、〈証拠〉によれば、麻疹ウイルスの感染後潜伏期第六日以内に、ガンマーグロブリン(一五〇ミリグラム/ミリリットル)を体重一キログラム当たり0.1ミリリットルないし0.33ミリリットル(普通0.25ミリリットル前後)投与すれば麻疹発症を予防することが可能であることが認められる。

3  原告千春の感染時期

(1) 〈証拠〉によれば、麻疹感染した患児からの感染経路は、咳嗽、くしやみ、会話等の際の飛沫感染が主たるものであるとされているところ、右各証拠に前掲乙第一〇号証及び市橋証言によれば、成書の中には患児が感染原となりうる時期について、発病前三〜四日から発疹出現後二〜三日までであり、カタル期が最も危険であるとするものもあるが、多くは、感染原である患児の感染能力は潜伏期にはなく、カタル期から発疹出現後二〜三日までであり、カタル期に最大に存するとするものであることが認められ、一般には、患児は、カタル期の症状の開始にともない感染原となり得るものと解することができる。

(2) 本件では、前認定のとおり久嗣は、昭和四八年六月四日には、既に二日前から発熱があり、四日には咽頭充血、咳嗽の各症状も認められ、同月六日にはコプリック斑が出現していることからして、遅くとも同月二日ころには麻疹を発症しカタル期の症状に入つたものということができる。

そうすると、原告千春が被告からガンマーグロブリンの投与を受けたのは同月七日であるから、久嗣と原告千春が同一家庭内で生活を共にしていて接触の機会が多いこと、感染能力にも個体差が認められること、また、原告千春が同月一六日被告の診察を受ける以前に、その後平常に復したとはいうものの、同月一三日に一度発熱していることがあることからすると、既に右七日の時点では、原告千春は感染後六日目を経過していたとの疑いもないわけではないが、原告千春の前記認定の症状の推移に照らすとそのカタル期症状の発症の時期は同月一六日ころと解されるところ、麻疹の通常の潜伏期は前述したとおり一一日間程度であるとされていること、久嗣が感染原となり得る時期は同月二日に始まつたと認められること、〈証拠〉によれば、成書には同一家庭内で麻疹患者が発生したとき、同居の未罹患児は、患児の発疹日をもつて、感染四日目とみなして予防措置をとる旨の記載があることが認められるところ、久嗣の発疹日はコプリック斑の出現が認められた同月六日以後である筈であることからすると、同月七日には原告千春は未だ感染後六日目以内であり、被告医院に来院した際には、ガンマーグロブリンの十分量投与による麻疹発症の防止の可能性は残されていたものとみる余地があると認めるのが相当である。

そうだとすると、被告が原告千春に投与したガンマーグロブリンの量は前記のとおり一五〇ミリグラム/ミリリットル一ミリリットルにすぎないから、三歳児の平均体重が一三瓩前後であることを考慮するとすでにみた発症防止に十分な量即ち体重一キログラム当り0.1ミリリットルないし0.33ミリリットル(普通は0.25ミリリットル)に満たないことは明らかであり、被告の投与目的も発症防止にあつたのではなく、症状の軽減にあつたことは前述したとおりであるから、次にこの点の被告の処置の適否が検討されなければならない。

4  ガンマーグロブリンの十分量投与義務について

(1) 前判示のとおり、麻疹はそれ自体かなり激しい症状をともなううえ、合併症の併発の危険性もあることから、軽視されるべき疾患でないこともちろんであるが、〈証拠〉によれば、麻疹は日本人の殆んどが成年に達するまでに一度は罹患し、一度罹患すれば終生免疫を得ることができること、その症状はかなりの高熱をともない、各種粘膜症状、発疹がみられるなど対症療法にはある程度の配慮が要請されるが、発熱は長くて二週間(通常一〇日間)程度でおさまり、一般的に予後は良好であること、合併症については、抗生物質療法時代に入る前には肺炎、結核等の併発が、ことに乳幼児に関しては麻疹肺炎につき約一〇パーセントの率でみられ、一四歳以下では致命率八〇パーセント前後といわれていたが、本件当時を含めて現在では、抗生物質療法の発達と小児の栄養状態の改善等の状況の変化にともないその併発率及び致命率ともに著明に低下したことが認められ、また、〈証拠〉及び市橋鑑定によれば、小児の麻疹に合併する肺炎は、麻疹患者一〇〇〇人につき約一例に認められる程度であることが認められ、〈証拠〉によれば、麻疹脳炎以外の合併症が右にみたように激減した現在でこそ、その併発率は麻疹肺炎に次ぐものとされているが、麻疹自体の頻度からすれば、脳炎の合併はまれであると認められる。

(2) そうすると、前掲甲号証中には三歳以下の乳幼児、栄養失調児、ツ反応陽転後まもない小児などは、できるだけ罹患を免れさせたことが望ましいとする記載があるが、すでにみたとおり、麻疹は、その対症療法に欠けるところがなければ、その危険性がかなり軽減されていること、一度麻疹に罹患した後は終生の免疫を得ることができるが、〈証拠〉によれば、右受動免疫法による免疫の効果はせいぜい四週ないし六週間持続するにすぎないことが認められることからすると、右甲号証中の記述は必ずしも、感染の機会が認められた三歳以下の乳幼児に対してはガンマーグロブリンの十分量投与による麻疹発症の防止が必要的であるという趣旨まで含むものではないと解判旨すべきであつて、麻疹感染の機会のあつた三歳以下の乳幼児であつても、その健康状態に格段異常の点は認められない場合には、前判示のとおり、その予防可能期間の判定には相当の困難が伴うことを考慮すると、敢えてガンマーグロブリンの十分量投与による麻疹発症防止をはかることなく、麻疹の症状を軽減させて罹患させることにより終生免疫を得させる目的で、それに見合う程度の量を投与するにとどめることも医師の裁量の範囲内の行為として認め得るものと考えるのが相当である。

(3) そこで本件についてこれをみるに、原告千春は、〈証拠〉によれば、昭和四八年五月二四日感冒に罹患したが、同月二九日は咳嗽、耳痛の症状を訴えてはいるものの感冒は治癒したものと認められ、同年六月七日に来院した際には、咽頭視診、身体触診等の診察をしたところ、格別異常な症状は認められず健康状態であつたこと、同日当時原告千春は満三歳二か月であつたが、生後からその当時に至るまで健康体を維持していたことが認められるのであつて、右のような状況のもとにおいては、被告が同日ガンマーグロブリンの十分量を投与することなく、むしろ原告千春を軽症で麻疹に罹患させることにより、終生免疫を得ることを目的としてガンマーグロブリンの十分量を下回る一五〇ミリグラム/ミリリットルを一ミリリットル投与する処置をとつた点に格段不都合な点は認められないものといわなければならない。

従つて、原告らと被告間の同月七日における診療契約に基づき、被告には同日麻疹発症を防止するに十分な量のガンマーグロブリンを投与する義務が存したのに、被告はこれに違反したとする原告らの主張は採用することができない。

5  麻疹脳炎についての診療義務違反

(1) 麻疹脳炎について

〈証拠〉及び市橋鑑定によれば、麻疹脳炎とは麻疹における中枢神経系合併症であり、その発生頻度は約0.1パーセントであること、その発生機序については未だ明らかにされていないが、麻疹ウイルスの直接侵襲によるとするもの、麻疹ウイルスの感染によつて他の潜伏していた向神経性ウイルスが賦活化されることによるとするもの、神経アレルギー反応によるとするものなど説が分れていること、臨床症状は様々で、広範な中枢神経障害症状を呈したり、単一の頭神経麻痺が唯一の症状であつたりすることがあり、急速に進行して二四時間以内に死亡するものもあれば、数日以内に全治するものまで経過は多様であること、従つて症状は症例によつて異なるが、高熱、意識障害、嘔吐、頭痛、痙攣、腱反射異常、項部強直、直腸膀胱障害等で他の急性伝染病にともなう二次性脳炎と大差ないこと、髄液所見は液圧が高く、細胞数、総蛋白量は中等度増加を示すことが多いこと、予後は極めて重篤であり、死亡率は平均一五パーセント程度で幼弱児に高い傾向がみられ、痙攣傾向、神経麻痺、知能障害などの後遺症は約二五パーセントみられることが認められる。

(2) 麻疹脳炎の診断基準について

〈証拠〉並びに市橋鑑定によれば、麻疹による神経合併症の診断基準として、

① 定型的な麻疹の臨床症状を呈すること。

② 神経合併症の出現時期が発疹出現四日前から出現後一八日以内であること。

③ 臨床的に原発性、あるいは続発性の他の神経系疾患を否定し得ること。を満足することが、必要条件であるが、この三者はいずれも無床診療所開業医の医療水準においても臨床的に把握できる事項であること、このうち、多くの場合基準「2」の項目が問題となるが、この神経合併症の出現については、前判示のような意識障害、痙攣等の神経症状を的確に診察し、その総合的な判断をすることが要請されるが、その結果、神経合併症が疑われる症状が認められた場合は、腰椎穿刺法などにより脳脊髄液検査(細胞数算定など)を行うことによつて早期診断をすることが可能であることが認められる。

(3) 麻疹脳炎についての診療義務について

判旨被告が、昭和四八年六月一九日、原告千春を診察した際には、前認定のとおり原告千春は体温40.1度、脈拍早く、全身麻疹の発疹状態でぐつたりしており、皮膚が多少うるおいを失つているなど脱水の初期症状や腹部の多少の張りも認められたが、循環障害、呼吸困難、痙攣、項部強直の症状は認められず、瞳孔の状態も正常であり、腱反射も若干少なめであるが存在し、脱水症は、舌、皮膚が多少うるおいを失う程度の初期の症状が認められたにすぎず、また原告千春は終始うとうとした状態ではあつたが、名前を呼ぶと反応を示していたことが認められるところ、前認定のとおり同日は時期的に麻疹の最盛期に相当し、臨床症状として40.1度の発熱がみられたとしても別段異とするに足りないこと、また、市橋証言及び市橋鑑定によれば、麻疹の最盛期の症状にともない発熱、発汗、水分の吸収不足等のためから脱水症状があらわれることもあり、高熱、脱水等によりぐつたりとした状態となりうとうとしたりうわごとを発することがしばしばあること、原告千春の腹部は、多少張つていた程度にすぎないのであり、これが直ちに直腸膀胱障害の存在を疑うべき症状とはいえないことが認められ、また、〈証拠〉によれば、麻疹脳炎はその発症の初期症状が出現してから本格的な症状に至るまでの時間が短かく急激な症状変化にともなつて発症する疾患であることが認められることを併せ考慮すると、被告が前同日原告千春を診察した際、前記各症状のもとに原告千春は麻疹の最盛期を迎えた段階で脱水症の初期症状が認められるものの、麻疹脳炎の発症もしくはその蓋然性があるとの診断を下さなかつたことが本件診療契約上の義務違反に当るということはできないものというほかはない。

そうだとすれば、被告には、麻疹脳炎の診療の点についても本件診療契約上の義務違反はないものといわなくてはならない。〈以下、省略〉

(落合威 樋口直 杉江佳治)

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